Title |
信頼できる根拠 |
Date |
2011-12-24 - 2012-02-03 |
CCA北九州プロジェクト・ギャラリーは、ハッサン・カーンの新作を発表しました。
「この展覧会のタイトルは「信頼できる根拠」です。それが、この期間に私が創り出すどんな作品、文章、音楽或いは展覧会にも適うタイトルだといえます。北九州に着いてからの10日間、私はこの言葉を何度もノートに書きつけていました。そして、いつも一つ前に描いたものより大きくなる一連の同心正方形をこの言葉の周りに描いた時、これがタイトルだ、これを使わなくてはいけないんだと確信したのです。」
「このタイトルでの根拠という言葉は、同時にいくつかのことを意味します。それが信頼できるという理由もまた多岐にわたります。」
「一つには作品の根拠というのがあり、それは、ほぼどんなものでもありえるでしょう。たとえば、通りを走って渡る方法とか、近所のカフェにある二つの棚のあいだの正確な距離、悩める作家のヒステリックなわめき、食器を洗っていて突然思い出したきまりの悪い瞬間、驚くべき勝利のファンタジー、燃え上がる野心、深い悲しみ、半笑い、聞くといつも何か新しいことがわかるシンプルな歌、どうしようもないほど深刻にやってしまった過ち。」
「それはまた、私が思い描く、世界のあらゆる意思表示の裏にある偽りの根拠でもあるのです。それは、たとえば、それぞれ個人としての二人が、名前をもつことやそれが自分のものだと思いだすことを可能にさせるような秘密の取り決め。つまり、知ること、信じること、ありのままでいること。愛を信じるかどうか、友情と家族、罰と報酬を信じるかどうか、求めることと努力することを信じるかどうか、あきらめることを信じるかどうか、受け入れることや拒否することを信じるかどうか、ということ。それが、一つの集団を成立させるのです。それは、私たちが存在するためのものであり、ある形式のなかでその集団を構成し、集団のメンバーに秩序を伝えるものなのです。そうしたことによって、私たちは、自分が自覚的であり、独りであると同時に多数の中の一人でもあることを理解します。これらの根拠は、すべての人は自分たちと似ているけれど、まったく同じではないということを認識させてくれるのです。」
「あらゆる抑えられない痙攣のようなことが起こるたびに、それが忘れられるたびに、私たちの王/指導者が変わるたびに、この根拠への信頼は揺らぎます。それでも、私たちがここにいて、自分たちがここにいるということを知っている限り、こうした根拠は、自分たちで制御はできないものの絶対的な信頼のもとに存続するのです。」
ハッサン・カーンは、リサーチ・プログラムの教授として2011年12月2日から24日までCCA北九州に滞在しました。
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