1952年に渡米、ジョン・ケージに影響を受け、61年帰国後多くの不確定性・偶然性の音楽を発表、伝統的な西洋音楽を超える新しい作曲法を用いた現代音楽の創出に貢献した。61年に開催された現代音楽祭において、日本において初めてジョン・ケージ、モートン・フェルドマンらアメリカの実験的前衛音楽を自らの作品とともに紹介、衝撃を与えた。ほかにも確立論やコンピューターを使ったヤニス・クセナキス、コンピューター/エレクトロニック・ミュージックの草分け的存在であるデヴィット・テュードア、ミニマル・ミュージックと定義されるスティーヴ・ライヒらの音楽を日本にいち早く紹介する。また60-70年代に活躍していた美術家のグループ「ネオ・ダダ」、土方巽を中心とする舞踊家の集団「暗黒舞踊」、日本で活動をしていた前衛音楽集団「グループ音楽」らのメンバーとも接触をもち、様々な分野にわたって刺激を与え、彼らとともにパフォーマンスを展開した。また、自作においても、60年代の不確定性・偶然性に始まり、その後「空間」やオリジナリティの概念、日本の伝統音楽やその思想などを取り入れた作品を発表、現代音楽において常に新しい境地を開拓している。
1988年に発表された「交響曲ーベルリン連詩ー」は、連詩を歌詞として使用した。基本的に複数の作家によってつくられる連詩や連句の独得の在り方を通し、オリジナリティ、そして芸術と日常性という問題を音楽との関連で探っていくものであった。それはまた、西洋に対応する中での日本人にとっての表現やオリジナリティという一柳自身の探求にもつながっていく。
音楽における東洋と西洋の問題を、避けて通ることのできないものとする一柳は、東洋の思想や音楽への認識を深め、東洋と西洋の問題を取り上げるものとして、1989年に雅楽と聲明、中世から近世までの和楽器を中心にした演奏グループ「東京インターナショナル・ミュージック・アンサンブルー新しい伝統」を発足する。日本の伝統音楽、そして伝統楽器を使った現代作曲家による音楽を、日本の特殊な音楽としてではなく、国際的に発言し、コミュニケーションを確立できるものとする一柳の認識をここに見ることができる。そこでは、海外で活躍する作曲家との交流や、伝統音楽というものを、我々が思想や哲学を通してどう位置づけるかということを、より広い視点から見直そうとする姿勢が据えられている。
1995年には初のオペラ、ミヒャエル・エンデ原作「モモ」を発表する。エンデの「時間」への考察に、音楽と時間の関わり方を重ね合わせるものであると同時に、19世紀のオペラとは異なる現代オペラとは何かという問題定義でもあった。
20世紀における音に対する意識や考え方の変化は、音楽という枠組みや定義を根本から問い直す思考錯誤の過程でもあったといえるだろう。その過程において、作曲や演奏、楽譜、即興、そして様々な思想と向きあいながら、一柳は50年以上にわたり現代音楽を主導してきたのである。
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