ジョセフ・グリッグリー

Title
綺麗な紙
Date
1998-06-22 - 1998-07-11

CCA北九州プロジェクト・ギャラリーでは、ジョゼフ・グリッグリーの新作を発表しました。

このプロジェクトは、「綺麗な紙」というテーマで、一連の壁の作品と絵画的な作品とで構成されました。静物画が、日常生活のなかのありふれた情景を映し出しているのと同じように、グリッグリーは、日常生活のなかのありふれた会話を映し出しているのです。「綺麗な紙」は、アートと生活の関係を考えていくものであり、また、社会的存在として、わたしたちが、日常的なコミュニケーションを通してどのように自分自身を常につくりあげ続けているかを探っていったのです。

「わたしが耳の聴こえる人たちと交わす会話のおおくは、途切れがちなものであり、ほんの少しの言葉一会話のなかのあちらこちらのある言い回しやそっちゃこっちの語句の切れ目と関わっていくものなのです。時として、ある会話のなかでの曲解や話題の変化に見当をつけるのは大変です。まるで、自分がそこにいると気づくまで、話している会話がどこにいくのかぜんぜんわからないかのように。」

「あなたがわたしと同じで聴こえないとすると、ある種の会話はかなり厄介なものです。話をするのに素晴らしい場所が、書くのにも素晴らしいとは限りません。たとえば、車のなか、それも運転しているときなんかはまさにそうです。あるいは、ベッドで、とくに電気を消したときには。しかし、話しをするにも書くのにも素晴らしいところがひとつあります、それはレストランのテープルです。そこでは、みんなお互いにくっついていて座っていて、たっぷり時間もあり、そしてこれがとても重要なのですが、だいたい書くための紙がたくさんあるのです。ときおり、誰かがわたしのために何かを書いてくれるのだけど、その言葉は、ある状況で考えるとまったく陳腐なことになるし、別の状況では妙に変なことになるのです。人がものを書くときには、全体のプロセスが重要な意味をもつことを前提とするような事実と関連づけて書なくてはいけないと思います。このことは、書く必要がなさそうなことを人が書くときにとくにいえることで、そういうことは、状況が違えばうなずくか仕草ですむこと、まったく言う必要のないことなのです。」

「言語についてのもっと変わったとことのひとつは、言葉だけでなく、言葉と言葉のあいだの間隔がどれほど重要かという点です。一息つくときの沈黙。紙のうえでの空白。ときおり、誰かが何かを言うことで、存在のなさとい意味が強調されます-沈黙は言葉がないということではなく、空白は何もないということではないのです。どこからともなくくる声のように、ひそひそ話がささやかれるように、わたしたちの人生の行間のはざまにふたたび消え失せていくように、ちょっぴり薄気味悪いものなのです。」

ジョセフ・グリッグリーは、リサーチ・プログラムの教授として1998年5月8日から6月22日までCCA北九州に滞在しました。

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ジョセフ・グリッグリー
Date
1998-06-22 - 1998-07-11

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