ジョーン・ジョナス(1936年生)は、パフォーマンスとヴィデオ、そしてヴィジュアル・アートを統合した作品を発表した最初のアーティストの一人。彼女の行った数々の試みは、同様の表現方法で作品をつくる若いアーティストたちへの道を切り開くことにもなった。こうしたさまざまなメディアに着目し、自分がつねに抱いている、物語の様式への関心を探求しながら、彼女は今も精力的に活動している。時に異文化からの影響を受けつつ、ジョナスの作品の中では演劇的な側面と儀式的な表現方法が結び合わされていく。
リサーチ・プログラム教授(2010/2011/2013/2014)
Bridge the Gap? 7 (2011 グラナダ)
Bridge the Gap? 8 (2011 アウンガラ)
Bridge the Gap? 9 (2012 メキシコシティ)
Bridge the Gap? 10 (2014 イスタンブール)
Bridge the Gap? 12 (2016 ジェノヴァ)
2009/2010/2011/2012
CCAライブラリーに所蔵している多くの映像アーカイヴの中から数点を選び、プロジェクトギャラリーにて上映する「ヴィデオ・スクリーニング」の 2011年度第2回目は、ナム・ジュン・パイクを取り上げます。
上映作品
「Merce by Merce by Paik」(パイクによるマースによるマース)
1978 28:45 min
チャールズ・アトラス、マース・カニンガム、シゲコ・クボタとの共同制作
CCAライブラリーに所蔵している多くの映像アーカイヴの中から数点を選び、プロジェクトギャラリーにて上映する「ヴィデオ・スクリーニング」の2011年度第1回目は、スイス、フランスを拠点に活動する映画監督、ジャン=リュック・ゴダールを取り上げます。
上映作品:
「ソフトとハード (ハードな話題についてのソフトな会話)」 1985 48:11 min
ディディエ・フォスティノの作品は、身体性における、「まさに今この瞬間」という意識に関係するものだ。そして、感性を刺激するような触覚を引き起こす。アートや建築のどんな領分に留まることなく、人はそれぞれ自分のカラダがあるという事実をもとに、それを自由に操作して私たちの世界を作ろうと彼は呼びかける。とはいうものの、フォスティノはカラダというものが、最終的には、政治的および社会的な状態を取り扱うものの、つくられた状況に馴染みやすく無気力なものであることに気がついている。だからこそ、彼の破壊的な立場は、私たちに私的なものと公的なものの境界、そして個人と共同体の境界を再考するよう促すのだ。
リサーチ・プログラム教授(2005/2010)
Bridge the Gap? 5 (2009 ヴェニス)
Bridge the Gap? 6 (2009 ニューヨーク)
Bridge the Gap? 7 (2011 グラナダ)
Bridge the Gap? 8 (2011 アウンガラ)
Bridge the Gap? 9 (2012 メキシコシティ)
Bridge the Gap? 10 (2014 イスタンブール)
Bridge the Gap? 11(2015 シンガポール)
Bridge the Gap? 12 (2016 ジェノヴァ)
2004/2005/2009/2010/2011/2012/2013/2014
10月22日 平野啓一郎 小説家
「個人主義から文人主義へ」
10月29日 西江雅之 文化人類学者
「伝統と創造」
11月5日 鈴木昭男 サウンド・アーティスト
「耳澄ますこと=創造?」
11 月12日 ジャン・ユンカーマン ドキュメンタリー映画監督
「ドキュメンタリーは『知りたい』から始まる」
11月19日 小川三夫 鵤工舎 舎主
「不揃いの木を組む」
5月28日 日比野克彦 アーティスト/東京藝術大学教授
「ハートマーク❤ビューイング アートが出来ることとは」
6月4日 重森千青 (有)重森庭園設計研究室 代表/作庭家
「日本庭園の日を探る “見立てによる美”」
6月18日 坂手洋二 劇作家/演出家(燐光群)
「舞台表現の『自由』」
7月2日 青山真治 映画監督/小説家
「回転する生/回転する創作」
7月9日 しりあがり寿 漫画家
「マンガとかそのあたりのいろいろ」
CCA北九州プロジェクト・ギャラリーでは、ニューヨークを拠点に活動するジョーン・ジョナスの新作を発表しました。
今回のプロジェクトでは、ドローイングと写真により構成されたインスタレーションを制作しました。
ジョーン・ジョナスは、リサーチ・プログラムの教授として2011年3月CCA北九州に滞在しました。
マリナ・アブラモヴィッチは、1946年旧ユーゴスラビアのベオグラードに生まれ、パフォーマンスやビデオ、フィルム、写真、ビデオ・インスタレーションなど様々な媒体を用いて活動しています。アブラモヴィッチは、肉体の極限と精神的な力の可能性との関連を追及しながら、時として身体や自伝的な要素を社会的な隠喩として作品に用います。
インターナショナル・コミッティー
リサーチ・プログラム教授 1997
Bridge the Gap? (2001, Kitakyushu)
1996/1998/1998/1998/2000/2000/2001
CCAプロジェクトギャラリーでは、ク・ジョンアの新作を発表しました。
今回のプロジェクトでは、無意識の集中についての3つの状態が展示されました。
ク・ジョンアは、リサーチプログラムの教授として2011年1月8日から30日までCCA北九州に滞在しました。
リクリット・ティラヴァーニャは、1990年代初めより、人や物のあいだの双方向的な あり方における、ひとつの新しい美学的な考え方を切り開いてきた。料理をして観客にふるまう、美術館のなかに録音スタジオを設置する、ギャラリーのなかに自分のアパートを再建し観客が使えるようにするなど、アートの空間のなかに数多くの日常的な活動が 生まれるような契機を提供する。ティラヴァーニャは、自分自身が触媒となり、観客が参加し、行動する場を作り出す。すると、観客の人たちが共有する体験が、作品に 意味を与え、その形を変えていくというようにして、作品を活性化していくのだ。
リサーチ・プログラム教授 (2001, 2013)
Bridge the Gap? 2 (2005 ミラノ)
Bridge the Gap? Brainstorm Meeting (2005, ヴェニス)
Bridge the Gap? 3 (2006 チェンマイ)
Bridge the Gap? 4 (2006 上海/北九州)
Bridge the Gap? 10 (2014 イスタンブール)
Bridge the Gap? 12 (2016 ジェノヴァ)
2000/2001/2002/2004/2005/2006/2012/2013/2014
テッド・チャンは、サイエンス・フィクション作家である。大学でコンピューター科学を学んだ後、ソフトウェア関連のテクニカルライターをする傍ら、短編小説を発表する。作品の中では宗教、魔術、言語、科学などの課題とそれらのあいだの関係性が独自の視点で描かれ、最新作では人工知能を取り上げている。
Bridge the Gap? 7(2011, グラナダ)
Bridge the Gap? 8(2011, アウンガラ)
Bridge the Gap? 9(2012, メキシコシティ)
2011/2012
CCA北九州プロジェクト・ギャラリーは、ハッサン・カーンの新作を発表しました。
「この展覧会のタイトルは「信頼できる根拠」です。それが、この期間に私が創り出すどんな作品、文章、音楽或いは展覧会にも適うタイトルだといえます。北九州に着いてからの10日間、私はこの言葉を何度もノートに書きつけていました。そして、いつも一つ前に描いたものより大きくなる一連の同心正方形をこの言葉の周りに描いた時、これがタイトルだ、これを使わなくてはいけないんだと確信したのです。」
「このタイトルでの根拠という言葉は、同時にいくつかのことを意味します。それが信頼できるという理由もまた多岐にわたります。」
「一つには作品の根拠というのがあり、それは、ほぼどんなものでもありえるでしょう。たとえば、通りを走って渡る方法とか、近所のカフェにある二つの棚のあいだの正確な距離、悩める作家のヒステリックなわめき、食器を洗っていて突然思い出したきまりの悪い瞬間、驚くべき勝利のファンタジー、燃え上がる野心、深い悲しみ、半笑い、聞くといつも何か新しいことがわかるシンプルな歌、どうしようもないほど深刻にやってしまった過ち。」
「それはまた、私が思い描く、世界のあらゆる意思表示の裏にある偽りの根拠でもあるのです。それは、たとえば、それぞれ個人としての二人が、名前をもつことやそれが自分のものだと思いだすことを可能にさせるような秘密の取り決め。つまり、知ること、信じること、ありのままでいること。愛を信じるかどうか、友情と家族、罰と報酬を信じるかどうか、求めることと努力することを信じるかどうか、あきらめることを信じるかどうか、受け入れることや拒否することを信じるかどうか、ということ。それが、一つの集団を成立させるのです。それは、私たちが存在するためのものであり、ある形式のなかでその集団を構成し、集団のメンバーに秩序を伝えるものなのです。そうしたことによって、私たちは、自分が自覚的であり、独りであると同時に多数の中の一人でもあることを理解します。これらの根拠は、すべての人は自分たちと似ているけれど、まったく同じではないということを認識させてくれるのです。」
「あらゆる抑えられない痙攣のようなことが起こるたびに、それが忘れられるたびに、私たちの王/指導者が変わるたびに、この根拠への信頼は揺らぎます。それでも、私たちがここにいて、自分たちがここにいるということを知っている限り、こうした根拠は、自分たちで制御はできないものの絶対的な信頼のもとに存続するのです。」
ハッサン・カーンは、リサーチ・プログラムの教授として2011年12月2日から24日までCCA北九州に滞在しました。
TRANSLATED BY テッド・チャン、ダグラス・クープランド、ラナ・ダスグプタ、ジュリアン・グラック、川端康成、ジョナサン・レサム、ソフィア・アル・マリア、ヒシャム・マター、トム・マッカーシー、デイヴィット・ピース、ニール・スティーブンスン
あなたはインタフォンのボタンを押す。お待ち下さいとの声。しばらくすると、係の人が中に入れてくれた。そこは何もないし、音も聞こえないようだ。そして、薄暗い。
壁には、簡単な指示と、アルバムの曲目リストのようなものが書かれている。しかし、バンド名の変わりにあるのは、作家の名前。そして曲名の代わりに、場所名が書かれている。奇妙だよね?
ヘッドフォンを手にとり、それを小さな電子機器に取りつける。うす暗い空間を、森の幻影が走り抜ける。夜みたいだ。
ヘッドフォンをつける。最初の部屋に入る。壁には番号が書かれ、床からの照明で照らされている。電子機器の番号を。耳のなかに声が聞こえてくる。パチパチッという音、シューという摩擦音。あなたは、ネヴィンズ通りと三番街のあいだのアトランティック・アヴェニューにいる。そこはブルックリン。1971年。
時間が過ぎた気がする。尾をひく松の香り。音声は消えていく。次はどこにいくんだっけ。別のトラックでは、違う声が聞こえてくる。あなたは、80年代後半のシェラトンホテルで迷子になった6歳の女の子についていく。ドーハの砂漠に建つアステカの大きな船。
あなたは、自分が11のトラックから成るミックステープの時間と空間のはざまに入り込んだことに気がつく。いくつもの場所が寄せ集められたところ、それが、あなただ。トリポリ、東京、アルデンヌ。歳月が経過する。ソフィア、ブリクストン。変質する自己。湯沢の夜行列車。メタヴァース。さらに何分かが過ぎる。そして西バンクーバーまで。世界が終わるところまで。
キュレーター: チャールズ・アルセヌ=ヘンリ & シュモン・バサー
「Translated By」展は、ロンドンのAAスクール(Architecture Association, School of Architecture)で2011年1月15日から2月9日まで開催され、ベッドフォードプレスから本が出版されています。CCA尾倉ギャラリーの展示では音声、展示構成が変更されています。
ハミッシュ・フルトンの作品は、彼がある特定の場所に旅に出て歩いた経験をもとに制作される。自分自身を「ウォーキング・アーティスト」(歩くアーティスト)と呼び、旅の途中で写真を撮り記録を書きとめ、それが作品に使われます。写真やテキスト、ドローイングなどからなるその作品は、彼の経験と観客を結びつけていく。
インターナショナル・コミッティー
リサーチ・プログラム教授 (1999, 2006)
1996
ソウルとパリの大学で学んだ後、韓国オンライン美術館構築作業監督(2011 -)、ソウル市立美術館でチーフキュレーター(2009 – 2011)、省谷文化財団/省谷美術館でディレクター(2007 – 2009)、大林文化財団/大林現代美術館でチーフキュレーター(1995 – 2004)を務める。「マン・レイとその遺産」(2010)、「マスク: 東江国際写真フェスティバル」(2009)、「写真の力: フランスの21人の写真家」(2008)、「チャック・クロスのプリント:過程と共作」(2008)、「Dis-communication:日本の現代美術」(2007)、「絵画的な写真:フランソワ・ユジェとサラ・ムーン」(2007)、「クリスチャン・ラクロワとバエ・ヨンスン:アーティストの服」(2003)、「モデルの変形/写真とファッションモデルの変遷史」(2002)など、多数の展覧会を企画している。
(2011年10月当時)
ザック・カイエスはデザイン事務所Zak Group を率いるグラフィック・デザイナー。また、ロンドンのアーキテクチャー・アソシエーション出版のインプリント「ベッドフォード・プレス」を共同創設し、出版物の新しい形式と意味を追求している。また、デザインのみならず、アーティストや建築家、キュレーター、作家と共同するプロジェクトや展覧会も企画している。
Bridge the Gap? 8 (2011 アウンガラ)
Bridge the Gap? 9 (2012 メキシコシティ)
Bridge the Gap? 11 (2015 シンガポール)
2011/2012/2013/2014
ハッサン・カーンは、エジプトのカイロを拠点にアーティスト、ミュージシャン、そしてライターとして活動している。
リサーチ・プログラム教授 (2011)
ルイス・H・カウフマンは、位相数学者として、現在イリノイ大学数学・統計学・コンピューター科学科で数学の教授を務め、結び目の理論とその統計力学、量子論、代数学、組み合わせ論などとの関係について研究している。カウフマンの発券したブラケット多項式は、結び目の理論の発展において重要な役割を果たしている。
Bridge the Gap? 7 (2011, グラナダ)
Bridge the Gap? 8 (2011, アウンガラ)
ケリス・ワイン・エヴァンス(1958年生)の作品は、私たち誰もが持っている、隠されたストーリーを明るみにするために、“洗練された”美意識とともに、観客の経験に触媒として作用していく。エヴァンスのインスタレーションは、ネオンや物、写真やフィルムなど様々なメディアを取り入れながら、彼の文学、哲学、そして映画に対する深い興味から作り出される。そして、私たちの認知能力というものは何か、またその意味をどのように組立てていくのかについて問いかけるのだ。
リサーチ・プログラム教授 (1998/2007)
Bridge the Gap? (2001, 北九州)
1998/2000/2001/2007
アンリ・サラはヴィデオを使った作品で知られ、時に政治的、自伝的要素が織り込まれているような映像や、また何気ない中にも特徴のある動きや言葉の詳細をとらえた映像を作り出す。色や音、空気などの微細な変化をとらえたサラの映像は、映像そのものが主体というよりも、音や言葉、社会的背景などの複数の要素が織り込まれ、その相互関係の中で構成されていく。そして、音やイメージが持つ意味の可変性に気づかされる私たち観客の存在は、またそこに新たな展開を加えることになる。
リサーチ・プログラム教授 (2003, 2008)
Bridge the Gap? 4 (2006, 上海/北九州)
Bridge the Gap? 6 (2009, ニューヨーク)
2001/2003/2006/2008/2009
マウリツィオ・カテランは1960年、イタリアのパドヴァに生まれ、現在はニューヨークを拠点に活動している。
90年代初めの初期の活動から、カテランは、論理の一貫性あるいは様式、成功というものについて問いかけてきた。美術界にまつわるさまざまな社会通念を揶揄を込めて真似ることで、彼の作品は、わたしたちが日々の行為のなかで社会的に行う人や物とのやり取りの複雑さを映しだそうとする。それは、とめどなく続けられている儀礼的に行われる屈辱的なことや権力の乱用、あるいはそれとは逆に、楽しみながら精神分裂を試してみることで表現される。
カテランのアートは、スターとしての地位、怠惰、デモクラシーの間に分割されながら、種種の題材や方法を絶えず探し求めるなかで、さまざまな方向に発展していくが、しばしば美術史およびマスメディアや広告の特有の手法が使われる。例えば、初参加した1993年のヴェニス・ビエンナーレでは、アーティストに向けられる期待感について皮肉にあふれたコメントを書いて、自分の展示スペースを広告会社に販売した。1998年のニューヨーク近代美術館での個展では、役者を雇ってピカソの顔の巨大なマスクを被せ、美術館内で来館者や旅行者を歓迎させたのだ。
彼の作品はしばしばシュールリアリズムの世界に接し、たとえば、99年のヴェニス・ビエンナーレでは、ファキールと呼ばれる行者を生きたまま地下に埋め、弱さやもろさ、そして屈服の衝撃的なイメージを作りだし、なおかつ最も重要であるアートのイベントの一つを、見世物にしてしまったのだ。
リサーチ・プログラム教授(2000/2004)
Bridge the Gap? 2 (2005, ミラノ)
オルタナティヴ・スペース・ループのディレクターを務める。1999年よりループの活動を始め、現在の場所(ソウル市西橋洞)に拠点を移してから、韓国における現代アートの重要な拠点の一つとして、既存のジャンルやメディアにとらわれず、数々のプロジェクトを展開してきた。第6回リバプールビエンナーレでの「メディア・ランドスケープ、ゾーン・イースト」(2010)や「異なる類似性」(2010)、「イギリスの現代美術」(2009)、「Re: Membering 日本の次」(2009)、「Move on Asia 2004 – 2010」、「ロシアのアート、その次」(2008)、「プライバシー」(2008)、「延長された感覚、日本と韓国のメディアアート」(2008)など、多くの展覧会を企画している。
(2011年10月当時)
寺社建築専門の建設会社「鵤工舎」舎主。法隆寺宮大工の西岡常一のただ一人の内弟子として、法輪寺三重塔、薬師寺金堂、薬師寺西塔(三重塔)を再建。鵤工舎では、全国各地の寺院の改修、再建、新築を行う傍ら、徒弟制度を取り入れ弟子の育成にも力を注ぐ。
2011/2013
新興大学観光経営科教授。漢陽大学博物館、国立現代美術館でキュレーターを務め、2011年から現職。 主な企画展示として、「李鎬信:黒い花の香り」(2005)、「民衆の鼓動:韓国美術のリアリズム1945ー2005」(2006)、「枯れない花-孫詳基」(2007)、「自分に向かう旅行-李秉瑢」(2009)、「コレクション、美術館を語る」(2009)、「Made in Popland」(2010)などがある。公私立美術館協力及び支援事業に対しての多様なプログラムも考案した。
(2012年当時)
2011/2012
フェデリコ・ガルシア=ロルカ財団
Bridge the Gap? 7 (2011, グラナダ)
金沢21世紀美術館キュレーター。主な企画展として「ゲルハルト・リヒター:鏡の絵画」「奈良美智展:Moonlight Serenade – 月夜曲」「パッション・コンプレックス:オルブライト=ノックス美術館コレクションより」「サイトウ・マコト展:SCENE[0]」「コレクション展Ⅱ shell – shelter:殻–からだ」「愛についての100の物語」「ペーター・フィッシュリ ダヴィッド・ヴァイス」「ピーター・マクドナルド:訪問者」などがある。
(2011年10月当時)
誠信女子大学でフランス文学を、梨花女子大学修士課程で美術史を学び、現在同大学博士課程在学中。これまでにリ・ウンロ美術館、大田市立美術館でキュレーターを務め、現在はアルコ・アートセンター/アーツ・カウンシル・コリアにてキュレーターとして活動している。主な展覧会に「メディア:アーカイヴ・プロジェクト」(2010)、「インタビューと、インタビュアーとしてのアーティスト」(2011)などがある。
(2011年当時)
ジミー・ダーラム(1940年アメリカ生)は、作家であると同時にアーティスト、そしてパフォーマンス・アーティストとして活動している。
ダーラムは1960年代初頭、アメリカ南部における市民権運動の一環としてシアターで活動を始め、またいくつかの雑誌に詩を発表。最初の個展は、1965年、アメリカ・テキサス州で行われた。1968年にスイス・ジュネーヴに移り、1973年にアメリカに戻る。1973年から1980年にかけて、アメリカのインディアン運動に活動家として参加、中央評議会のメンバーでもあった。1975年から1980年には、国際インディアン条約協議会のディレクターを務める。80年代初めには、ニューヨーク市のファンデーション・フォー・ザ・コミュニティー・オブ・アーティスツ(FCA)のディレクターも務めた。1987年にメキシコに移り、1994年に再びヨーロッパに戻り、それ以来ヨーロッパを拠点に活動している。
リサーチ・プログラム教授 (2000)
Bridge the Gap? 2 (2005, ミラノ)
ピピロッティ・リストは1962年にスイスのラインタルで生まれ、現在はチューリッヒ/ロサンジェルスを拠点に活動している。
リサーチ・プログラム教授 (2000)
Bridge the Gap? (2001, 北九州)
フィリップ・パレノ(1964年生)は、パリを拠点に活動している。ビデオやフィルム、インスタレーションなど様々なメディアや手法を使って作品を発表、またピエール・ユイグやリアム・ギリックなど他のーティストとのコラボレーションも行っている。
リサーチ・プログラム教授 (2003)
Bridge the Gap? 2 (2005, Milano)
2003/2005/2006
VOID
マリナ・アブラモヴィッチ、秋田昌美、アラファー・エリアソン、ヨナ・フリードマン、リアム・ギリック、マチアス・グマッハル、カーステン・フラー、マルチプリシティ、岡田俊一郎、スコット・オルソン、高橋左門、リクリット・ティラヴァーニャ、カール・マイケル・フォン・ハウスヴォルフ
実物に見えるが実は紙の模型でつくられた、特定の空間を写した写真で知られる。時に政治的に操作されたイメージとも関連し、写真によるイメージの意味を探っていく。
リサーチ・プログラム教授 (2008)
Bridge the Gap? 4 (2006, 上海/北九州)
2006/2008
ファン・ヨン・ピンは1954年に中国の厦門で生まれ、1989年以来、パリを拠点に活動している。中国古代文化における神秘的な活力の要素、たとえば道教方術、占卜、薬物などにおける考え方を用いながら、世界各地で、さまざまなプロジェクトを行っている。
リサーチ・プログラム教授 (1999)
Bridge the Gap? 4 (2006, 上海/北九州)
1999/2000/2006
オラファー・エリアソンは、人間の知覚や自然界の法則、自然現象などと深く関連するインスタレーションや写真を使った作品を発表している。科学者や建築家などとの共同プロジェクトも行う。
リサーチ・プログラム教授(2000)
Bridge the Gap? (2001, 北九州)
Bridge the Gap? 2 (2005, ミラノ)
Bridge the Gap? 4 (2006, 上海/北九州)
1999/2000/2001/2003/2005
ローレンス・ウィナーは、1942年ニューヨークに生まれ、ニューヨークとアムステルダムを拠点に活動している。1960年代より、ウィナーは言語を使い作品を制作してる。彼の言語の使い方は、抽象的あるいは表象的な意味合いを排除するものであり、場所性や理解のされ方といった文脈によって成り立つ。ウィナーの作品は、コンセプチュアル・アートおよびそれに関連する動きなどの歴史的な背景の中で、重要な影響力を持ち続けている。
インターナショナル・コミッティー
リサーチ・プログラム教授 (1999)
ダニエル・ビュレンは1938年パリで生まれ、1960年代後半よりストライプを視覚的なツールとして用いた作品を様々な場所で制作している。白と様々な色を交互に配した8.7cm幅のストライプを用いて、作品がつくられる場所を計測の尺度となる共通単位として測ることができる。そして、物差しを目の前にかざして風景を測るように、ビュレンの作品は、つくられた場所の空間を見る時の基準値となるのだ。
インターナショナル・コミッティー
リサーチ・プログラム教授(1997)
1996
ゾーイ・バットはホーチミンにて現代美術の様々なプロジェクトを展開するアートスペース、サン・アートのエグゼクティブ・ディレクター及びキュレーターを務める。2007年から09年までは、北京を拠点とする国際的なアーティストの団体であり、現在も進行中のプロジェクトでもある「Long March Project」のディレクター、2001年から07年まではクイーンズランド・アジア現代美術館(ブリスベン)にてアシスタント・キュレーターを務め、そこでアジア-パシフィックトリエンナーレにも携わる。「A Transformative Disguise: Le Hoang Bich Phuong」(2012, サン・アート)、「Erasure: Dinh Q Le」(2012, シャーマン現代美術財団、シドニー)、「Signs and Signals from the Periphery / Encuentro de Medellín MDE11」(2011, コロンビア)など、数多くの展覧会を手掛ける。
ク・ジョンアは1967年韓国、ソウルに生まれ、パリでアートを学んだ後、欧米を中心に活動を続けている。ク・ジョンアの作品は、ドローイングやビデオ、メモの走り書きやコップといった日用品など、様々な媒体で作られる造形により、構成されている。きめ細やかで、時に作品がどこにあるのかすぐにはわからないような展示は、多くの場合特定の場所に限定した作品であり、観客を独特の、雰囲気のある空間で包み込んでいく。
リサーチ・プログラム教授 (2002/2011)
CCAプロジェクト・ギャラリーは、2007年8月13日から9月14日まで「ヴィデオ・スクリーニング」を行いました。
今回は、ニューヨークを拠点に活動するアーティスト、ジョーン・ジョナス(1936年生)の作品を上映します。
上映作品
Organic Honey’s Visual Telepathy (有機ハチミツの視覚的なテレパシー) (1972)
Vertical Roll (垂直の映写ロール)(1972)
Volcano Saga (サガの火山)(1989)
マリア・イネス・ロドリゲスは、2014年よりボルドー現代美術館の館長を務める。現在企画中である、ローザ・バルバのインスターレーションの他、レオノール・アンテュネス「the pliable plane」展などを企画、またアレハンドロ・ホドロフスキーの回顧展を、建築家のアンドレアス・アンジェリダキスの構造の中で開催するなど、美術館の象徴的なスペースであるネーブで、次々と新しいプロジェクトを展開している。これまでにメキシコ国立自治大学内にある現代アート大学美術館(MUAC)のチーフ・キュレーター(2011 – 2013)、スペインのレオン市にあるカスティーリャ・イ・レオン現代美術館のチーフ・キュレーター(2009 – 2011)、ジュ・ド・ポーム現代美術館の「サテライト・プロジェクト」のディレクターなどを務める。展覧会の他にも、出版物の企画も手がけ、建築や都市計画のテーマも取り上げている。アニエス・ベーにより発行されているフリーペーパー「Point d’ironie」の編集長を務め、現代都市の様相に焦点を当てた新聞「Instant City」や「Bogotham City」などを発行、またアーティストのエディションのための「Tropical Paper」をたちあげる。現在「Tropical Paper」は現代アートと文化を論じるオンライン・プラットフォームとして活動している。
CCA北九州プロジェクト・ギャラリーでは、過去3年にわたる新作に引き続き、再度、ジョーン・ジョナスの新作を発表しました。
ジョーン・ジョナスは、パフォーマンスやビデオとビジュアル・アートを東道した作品制作を始めた最初のアーティストです。その影響は、今でもなお様々なジャンルで見ることができ、時に異文化から着想を得て、現在も新しい作品を展開し続けています。
凧:時代を超えた用途
凧は鳥のように空を舞い、距離の測定や信号として、火を掲げるために、悪魔払いのために、情報伝達のために使われます。子どもを、そして大人を運ぶために、メッセージを伝えるため、心理戦を仕掛けるためにも、温度計を高く揚げたり、電気を集め、荷台を引いたり、風速を測るためにも使われます。魚雷を運び、敵地への伝令のため、カメラを高く揚げるために、地震の影響を記録するために用いられ、飛行機の模型として、動く標的として、そして凧合戦のために、そして楽しみや子供の遊びのために空に舞い上がるのです。
素材:竹、紙、糸、絵の具
まず、紙と竹でできた手作りの日本の凧を六つ、二つの大きさで選びました。それぞれ食紅の赤、青と黄、緑のどれかで塗り、いくつかは紫、茶、黒でも塗りました。そこに同じく色を塗った紙をヒトデ、鳥あるいは抽象的な風景のイメージに切り抜いたものを張りつけてから、凧糸を取り付けます。凧は多少不規則な構成で天井から吊られ、後ろからの光に照らされる紙の形は、半透過のはかなさを強調します。この展示は、物の存在感やささやき、はっとするような暗示、避難所の軒の風の音、この絵を完成させるための風の見えない力、そういったものをめぐる或る劇の舞台装置として考えられています。
ジョーン/ジョナスは、リサーチ・プログラムの教授として、2014年1月1日10から2月3日まで、CCA北九州に滞在しました。
「犬のダンス」「犬のフープ」
ヴィデオ・スクリーニング+参考資料展示
ヴィデオ・プロジェクション+オブジェ+写真
オブジェと写真:参考資料
CCA北九州プロジェクト・ギャラリーは、ジョーン・ジョナスの新作を発表しました。
「2匹の月のうさぎ」の中で、ジョナスは、日本でおなじみの月の中のうさぎのイメージを探っていきます。アステカの伝説にも類似の物語があることから、ヴィデオ上映用の舞台としてのもろい彫刻的な外形と、かつて想像上のパフォーマーに使われ捨てられた小道具などによるインスタレーションのなかで、そのふたつの物語を並べていきました。
日本の伝承によると:猿と狐、うさぎは、すぐれた善行をすると、よりすばらしい報いが得られると考え、人のためになることをしようと決心しました。ある老人が食べ物を乞うた時、猿は木から果物を集め、狐は川岸から魚を捕まえてきました。うさぎは、草を集める方法しか知らなかったので、代わりに火の中に飛び込み、自らを食物としてささげたのです。しかしうさぎは、焼かれることはありませんでした。老人は神としての姿を現し、その美徳に胸を打たれ、その姿が万人に見えるように、うさぎの姿を月に残したのでした。
アステカの伝承では:ケツァルコアトルが人間として地上に暮らしていた頃、旅に出ました。長く歩いたので、餓えのため死が頭をよぎりました。すると、近くで草を食べていたうさぎが、その命を救おうと自らを食物として捧げます。その崇高な申し出に心を打たれたケツァルコアトルは、うさぎを月まで昇らせ、そして、また地球に戻し言いました。「おまえはただのうさぎかもしれない。でも、おまえのことを誰もが忘れずにいるだろう。あらゆる人のために、いつどんなときでも月の光のなかにおまえの姿があるのだ。」
ジョーン・ジョナスは、リサーチ・プログラムの教授として2010年1月5日から2月2日までCCA北九州に滞在しました。
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